創業から一世紀にわたり、コマツならではの
チャレンジスピリットとパートナーシップで
社会の課題に立ち向かい解決してきました。
それは、世界の人々の暮らしをより良く、
社会をより豊かにするための歴史でもあるのです。
「工業を発展させずして、国家の発展はない」この強烈な思いから、創業者・竹内明太郎は遊泉寺銅山用の鉱山機械を製作するためにコマツの母体となる「小松鉄工所」(1917年)を設立。地方に工業を興し、産業を発展させたいという信念と「良品に国境なし」という高い志のもと、海外への雄飛/品質第一/技術革新/人材の育成という4つの創業の精神を理念にものづくりを始めました。
竹内明太郎は、ガソリンを使用する本格的な国産自動車を日本で初めて開発・製造した実業家でもあり、国産第1号車の「DAT号」には竹内明太郎の頭文字「T」が使われています。社名はダットサンとなり、後の日産自動車株式会社へとつながっていくのです。また、欧米に負けない工業教育の早期確立にも高い意欲を持ち、早稲田大学理工科の創設に尽力、1908年に早稲田大学は悲願の理工科開設を果たしました。
1921年には、遊泉寺銅鉱山の閉山を見越し、小松鉄工所から分離独立させて株式会社小松製作所を創立しました。創業者による国産自動車の開発や大学創設による人材育成は社会発展の礎となり、その精神は現在もコマツに息づいています。